Mocha's Blog

日々のできごとをつづります

ほのかに嫌う

2020年5月11日

リモートワークが暮らしに浸透して、もう会社に行かなくていい!
嫌なあの人と会わなくていい!
( ̄ー ̄)ニヤリ
という世界が来ることがあるのでしょうか?
いつの時代も、人の悩みは「人間関係」。
特に「嫌い」「嫌われる」という感情は厄介。
日本人は多くの人が敏感に反応します。
嫌われる事に敏感なのは、教育の刷り込みもあるでしょう。
自己中だめ!ケンカだめ!みんな仲良く!
友だち100人できるかな♪
いい事なんだけど、それができない場合、罪悪感を感じませんか。
人から嫌われることも怖いし、人を嫌う自分も許せない。
善人でない自分は欠陥品なような気がする。
好き♥という感情はうれしく肯定できるのに、
嫌い!という感情は忌み嫌い、ひた隠す。
しかしよく観察してみると・・
喜怒哀楽や好き嫌いに価値も上下もなく、ただ自然と湧いてくる「おなら」みたいなもの。
なのに、これは「よいおなら」、あれは「ダメなおなら」と分別し、「ダメなおならは出さないぞ!!」とがんばるようなもの。
「ああ。。できないーっ」 って、
あたりまえだから。ムリだから。
感情はおならと同じ自然現象なのだから、抑えようがない。
ある哲学者は、「嫌うというのは自然の感情」だと言ってます。
嫌うこと、嫌われることは受け入れるしかない。
軽くあっさりと嫌い合っていけばいい、対立し合っていけばいい。

「ほのかな愛」があるなら、
「ほのかな憎しみ」もあっていいでしょう。
お互いに相手を「ほのかに」嫌い続ければいいのです。

ですって。
ほのかに嫌う。 悪くない響き・・( ´艸`
何かを、誰かを嫌うことはまったくもって自然です。
理由なく好きな時があるように、理由なく嫌いな時もあっていいんです。
理由テンコ盛りの嫌いも大丈夫です!
自分の中にうずまく感情に、ケチをつけたり罪悪感を感じたり、見ないようにしたり、
聖人目指して、滝に打たれたり・・
そんな闘争が一番自分を疲れさせる気がします。
どうしたって「嫌い!」は生まれるし、どうしたって「嫌われる」は避けられません。
じくじくした感情も、白日の下に晒してみると、案外からッとするかもしれません。
そこで思い出した
ダンマパダからの名文です(超訳ブッダ
     ↓
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非難に備える 君が誰かに悪口を言われても、
悪口なんて、原始時代の昔から
ずーっと続いてきた、
当たり前のことだよね」と思い出すと良い。
人々は、沈黙している人を
「むっつりしている」と非難し、
たくさん話す人を「やかましい」と非難し、
あまつさえ穏やかに適度に話す人すら
「何か裏があるに違いない」などと非難する。
みんなとにかく
何かにケチをつけたがっていて、
強引にでも理由をみつけてケチをつける。
世間というのはしょせんこんなもの。
「誰にも非難されない人」なんて
歴史上一人もいなかったし、
現在にも未来にもそんな人は
一人たりともでてこないだろう。

ダンマパダ 227~22
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どんなに一生懸命がんばっても・・
きっと、どこかで非難されてる
 ...( = =) トオイメ